ABC整骨院

ABC整骨院 山口徹也

 

この記事では私の事を書いていきます。
ども、院長の山口徹也(ヤマグチ テツヤ)です。

山口徹也profile写真

1983年9月18日生まれの乙女座、現在39歳です。
ちょっとお腹が出てきたような気がする絶妙な年頃です。

男ばかり三人兄弟の長男で、由緒ある山口家に生を受けました。
子供の頃は、ヤンチャで有名なクソガキでした。

実家が散髪屋さんということもあって、
悪いことをすれば、即効ボウズに!
常に、悪いことをしていたので常にボウズでした。

そんなクソガキだった子供時代の夢は、
競輪選手になりたい!でした。

理由は、父親の影響が強いというか、
今思うと、それ以外に何も無かった。

中学時代は体力をつけるために、陸上部に所属。その時から、
どうすれば楽が出来るか?と考える、ずる賢さは100点でした。

高校は競輪選手をたくさん輩出する学校があったので
そこに入れる勉強しか、しませんでした。

で、めでたく高校入学!

まさか、その年に自転車部が廃部!
え? はいぶ?

入学して1周間後、校長室に呼ばれ
「自転車競技部のある学校に転校するか?
このまま、顧問もいない、練習場もない状態で自分だけでするか?」

高校1年生の僕は、
【転校せずに、そのまま1人で自転車競技をする道を選んだ】

卒業生に競輪選手が多くいたので、何度か、練習に参加させて頂けた。
自転車をこいで、ゲロを吐く! 

先輩からは「山口君なら頑張ったらプロになれるよ」

こんなにゲロを吐く練習を続けて、ギリギリプロになれるレベルか・・・。

競輪選手になるという、僕の夢はあっけなく終わりました。

【何をしよう?】

それまで、競輪選手しか。仕事を知らなかった。

サラリーマンは、イヤ!
上司にペコペコするのはイヤ!独立出来る仕事をしよう!
なぜか、医師、薬剤師、整骨院の先生。

医学部・薬学部に入れる頭はなかったので
整骨院(柔道整復師)の学校を受験した。

見事に、不合格!

マジで? 出来たけど?アカンの?

ホント、ビックリしましたが、
あとで、知ったことですが、当時の学校は裏口入学が普通。

コネがないと入れない。そんなクソみたいな学校ばかりでした。
(今は、学校が乱立し生徒が集まらず閉校している学校も・・・)

よくわからないまま、カイロプラクティックの専門学校に入学。

入学して1週間で、なんとなく分かったことがあります。
学校だけ行っていても治せるようにはならない。

その日、アイデムで『勉強が出来て働ける所はないかなぁ?』と
贅沢な事を考えながら、見ていると・・・。

ありました。
【カイロプラクティックの学生、歓迎】の文字が!

ここしかない!そんな感覚でした。

その整骨院で人生で初の天才と出会いました。
その先輩たちに、一般常識と治療のイロハを教えていただきました。

高校卒業したてで、貧乏人のボンボンだった僕も
社会の厳しさ・楽しさを教えてもらい、ちょっとずつ成長して
母親から、「変わったね!」と言ってもらえたことが嬉しかったのを思えています。

僕が勤め始めて、1年も経たない時に天才の先輩は独立開業しました。

僕はまだまだ、その整骨院で働かないと恩を返せない。と勝手に感じて
1年働くことに、
そんなある日

天才の先輩が 『一緒に働かないか?』と誘ってくれました。

カイロプラクティックの学校を卒業して
次は、念願の整骨院の学校に入学が決まっていたので
入学する時期に職場を変えました。

約5年間、その整体院で整体技術を磨きました。
ホント、この5年間は充実した日々でした。

けれども、終わりは突然 来るものです。
その天才の先輩はなんでも出来るんです。

鍼灸治療が治療院のメインになっていくのを感じていました。
ついて行けなくなったんです。

整体治療をしていても、なぜかモチベーションも上がらず、
そんな時、天才の先輩から

【キツイやろ?今日で辞めるか?】

ドッと涙が溢れてきました。ほんと号泣してしまいました。
それまで、抑えていたものが溢れ出ました。

このまま、続けても自分もシンドイし、患者さんにも迷惑になるから
あのタイミングが最適だったと思います。

しっかり、僕の事を見ていてくれた天才の先輩。

有難かった。

言葉に表せないくらい、感謝してます。

この日に荷物をまとめて、母方の祖母の家に行きました。
それまで月に1度くらい、三重県の名張にある祖母の家に行っていました。

なんか、癒やされるんですよね。田舎な感じがリラックス出来るんです。
特に、何をするでもなく過ごしているだけで落ち着きました。

自分がこれから、どうしようか?
何をしたいんだろう?

いろいろ、考えました。

やっぱり、行動しか ないよな!と
大阪に帰ってきて、次の職場を探し始めました。

3軒、面接に行って、そこの院長先生と話をしたり、
施術を見ていたんですが

レベルが低い。

それまで、天才の先輩と一緒に働いていたので
ハッキリ感じました。

こんなレベルの低い所では、働けない!

それが、僕がABC整骨院を開院した動機です。

もともと、開業したくて入った業界なので
そこまで、抵抗もなく開業しよう。と思いました。

開業するためのノウハウを身に付けるために
難波周辺の整骨院で半年ほど、働きました。

その間に、開業準備を進めました。

2010年3月、ABC整骨院を開院!

が、開院する前に事件が起きました!

2010年1月末、名張に住んでいる
『母方の祖母がギックリ腰になった!』と母から連絡がありました。

その日は、土曜日で午前診療だったので、
診療を終えて、三重までバイクを飛ばして行きました。

それまで、カイロプラクティックやAKA療法、テーピング療法などで
ギックリ腰の治療は得意だったので、なんとかなる!と思っていたのですが

祖母のギックリ腰はピクリとも良くなりませんでした。

こんなに悔しい時はありませんでした。

来週行った時には治せるように、今まで以上に勉強しました。

次の土曜日、診療が終わったら三重に行こう。と思っていた
朝、母から連絡があり

『おばあちゃんが、今朝亡くなった』

泣く母の声が今でも忘れられません。

僕は祖母のギックリ腰を治すことが出来ませんでした。

今考えると、祖母の最後の使命?は
「開業するから、って天狗になるなよ!」と
僕に気付かせることだったのかも、しれません。

ABC整骨院を開院して、
いろいろな治せない患者さんが来られました。

今もスッキリ治せていない患者さんもいます。

早く治せるように、技術の向上は怠らないように
今年は、海外まで整体のセミナーに参加して、
人体解剖もさせていただきました。

現在、300人以上の患者様が良くなった!と喜びの声を頂いていますが
まだまだ、痛みで生活に困っている人が大勢、います。

ABC整骨院に来られる方が、
全員楽しく日常生活を送ることができれば良い。

そう思っています。

僕の影響力って、そんなにないし、時間もない。

ABC整骨院に来られる人だけで、手一杯です。

あなたも、こんな僕と一緒に健康な身体を取り戻しませんか?

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